ソフトウェアエンジニアになるのが怖かった話

今年の六月に転職してソフトウェアエンジニアとして仕事して半年たった。そろそろソフトウェアエンジニアと名乗って良い頃だと思うので、思い出話を書いておく。私はかつてソフトウェアエンジニアになるのが怖かったという話。

新卒で入った会社は、総合大手電機メーカーだった。みんなに使ってもらえるものを作るんだという意気込みだった。入った部署はコンシューマー向けの家電を開発しているグループだったので、理想の環境のはずであった。しかし、部署内でコードを書いている人が1人もいない。*1絶望した。人生最大の失敗をしたと思った。今となっては馬鹿らしいし、他にも手はあったとはおもう。しかし、そのときに自分が取った手はハードウェアのエンジニアで生きていくことだった。ソフトウェアはコツコツ自分で勉強して実力が付けばその道で転職すればよいと考えていた。しかし、中途半端にハードウェアとソフトウェアをやり、かつ大企業なのでマネジメントの真似事のようなことを新人のころからやり、どれもこれもどっち中途半端な状態に気がつけばなっていた。エンジニアリングが中途半端なもので語学に力を注ぎ始め、英語で仕事できるレベルに持っていった。これは正解で、英語でコミュニケーションが取れて、ハードからソフトまで話ができる人材は重宝され、1人で海外赴任を任された。実際に海外に出てから担当したプロジェクトもだいたい成功したので、その道で食っていくのも有りだったとおもう。

一方、ソフトウェアエンジニアとしては余暇に少しコードを書くぐらいで、ガッツリ取り組んでいるものもなく、なんとなく流行りの技術の表面だけを触って満足する程度の実力だった。実力がないことを、自分は本職のプログラマではないからという言い訳でごまかしていた。同世代でバリバリコードを書き、活躍しているWeb業界の人を見聞きするたびに、自分との差を認めたくなかったのだと思う。何年もこのような状態が続き、気がつけば中堅になりソフトウェアエンジニアで食っていくのは怖くなっていた。

転機は前述した海外赴任中で、ソフトウェア開発リソースが全く無いプロジェクトが舞い込んできた。もちろん、外部の企業にお願いして、開発全体をマネジメントすることも出来たのだが、二度とこんなチャンスないと思い、自分が全部やると言って引き受けた。苦労話はたくさんあるが、書いてもしょうがないので省略する。結果はやりきった。ちなみにそのときに使ったフレームワークを開発している会社が今自分が働いている会社である。そのフレームワークがよく出来ていたので、自分でもなんとかやれたのだとおもうのだが、自分もやはりこの道で食っていけるのではないかというほんの僅かな自信が出た。

運良く面接に合格し、転職した。最初は試用期間として6ヶ月の契約だった。*2。現在は無事試用期間をパスし、ソフトウェアエンジニアとしてやっていっている。

自分は技術的に尖った人間ではない。これまでつまみ食いしてきた、ハードウェア、ソフトウェア、マネジメント、ビジネスフレームワーク、思考法、語学の総合力を活かして、ソフトウェアエンジニアとしてやって行っている。イシューを特定し、解決する。基本的にはそれだけ。未知に恐れる必要はないし、自分で全部やらないといけないわけではない。コード一行も書かずに解決できるならそれでも良いし、わからなければ同僚に聞けば良い。*3

自分が知らないことは沢山あるし、一生勉強し続けないとエンジニアで、未知を怖がることなくやっていけるかどうかが重要だったのですが、若いときの自分はよくわかってなかった。しかし、わかってないなりにも色々学んでいたら無駄じゃなかったってのがラッキーだったなと思う。

*1:あとでわかったのだが、実際には1人いた。

*2:これはスウェーデンの会社では普通で、大抵最初は6ヶ月の契約となる。

*3:そうは言っても技術力はまだまだだなと思うので、そちらは重点的に強化中ではあります。